昔の上新城 明治初期の頃の新城
当時は武蔵国(むさしのくに)橘樹郡(たちばなぐん)新城村 現在の安養寺と新城神社・又玄寺は当時と同じ場所のある 緑の線は当時の道、薄い緑の囲いは当時の家屋のある敷地 当時は14軒の家しかなかった。
周りの白い場所は全部畑と田んぼ 赤い線に沿って昭和の始めに南武線が砂利運搬用の貨物線として開通 現在の地理と比べて想像して下さい。 尚、この昔の新城を調べるにあたっては下記表の1番の井上次兵衛さんの5代後の 井上弘明さんの郷土研究を参考にしました。
神社/寺/塚
- 安養寺
- 天満社
- 高札敷地
- 塚1
- 又玄寺
- 神明社
- 塚2
当時の農家
- 井上次兵衛
- 井上兼吉
- 井上竹次郎
- 磯崎長太郎
- 井上徳次郎
- 井上金蔵
- 井上栄七
- 磯崎亀次郎
- 石井民次郎
- 石井米吉
- 矢島丑松
- 矢島鉄五郎
- 井上金治郎
- 矢島惣五郎
屋号
- 天神まえ
- おもて
- おおしんや
- となり
- にいや
- むかい
- めえ
- うちで
- みなみ
- みなみまえ
- たじま
安養寺
新義真言宗 智山派 今の住職は横田さん
多摩88札所のひとつ、七福神のが奉ってある。
住職によると墓や文献を参考にして500年位昔までさかのぼれるとか、しかし住職がいない年代もあったようで正確な事は把握できないそうです。
天満社
明治34年に新城神社へ合祠された。祭神は菅原道真公です。合祀とは地域の雑社の整理統合を云う。
高札敷地
今で云う広報の掲示板、詳しくは市民ミュージアムに行くとわかります。
塚1
昔、畑の中にポツンと何かがあったことを覚えています。
弁天様を奉ってあるといいます。今現在も同じ場所に昔よりかなりきれいになって現存しています。弁天塚と呼ばれていました。
塚2
今は面影なし
又玄寺
臨済宗 妙心寺派 新城村の地頭(旗本)中川家の菩提寺で中川家摘祖中川重興の戒名から又玄寺と名付けている。中川家は今も新城神社南側に在住している。
今は新城保育園も同じ敷地内にある。
神明社
新城神社、平成2年に道路拡張で横に少しずれたがほとんど同じ場所にある。宮司は溝の口神社の宮司が兼ねている。祭神は天照皇大神、五十猛命、菅原道真公が合祀されている。境内社として”とうか森稲荷”、天王社、石神社、が鎮座している。